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先生や職員は38名(日本から派遣された先生が21名、現地採用の先生や職員が17名、ディレクター1名)です。校舎は、63ビルや南大門近くの東邦生命ビルを設計した超一流の建築家朴春鳴氏の設計で、階段部分が楕円形に突き出し長方形の校舎に変化を与えるおしゃれ佇まいを見せています。
学校設立当初からソウル日本人学校は現地のかたがたとの交流をしてきました。開校当初の記録によれば、運動場がなかったために近くの学校で運動場を借りたり、先生方が授業参観をしたり、日本語や韓国語を教えあったりする交流があったようです。
韓国の学校との交流活動は、子どもたちが楽しみにしている活動の一つです。現在は、小学部が4校と、中学部は2校の学校と定期的な交流活動をしています。毎年、交流会の内容をどのようなものにするかという打ち合わせは、一番神経を使います。一学期、二年生、三年生、四年生の日本人学校での交流会では、プールに入ることになりました。プールに入る事前指導も、日本人学校で行っていることを伝え、体温を測ってくることや、保護者の承諾を得てくることなどが書き込まれた、同じプールカードを使ってもらいました。四年生は、良田初等学校の先生の提案で国楽中学の招待演奏会に一緒に行ってきました。中学生のお兄さんやお姉さんの演奏や踊りで身近に伝統的な韓国を感じることができました。
相互交流を継続していく上で大切なことは、お互いが、何を相手に伝えられるのか、何を提供できるのかということをよく考えて計画を立てることです。特に交流活動は、相手のある活動ですから、お互いに「よかった」「楽しかった」「ためになった」ということが残らなければ続きません。四年生の交流では、日本人学校の保護者の方の協力を得て「日本語紹介教室」も二時間持ちました。交流会にきてもらう前に、簡単な挨拶言葉を紹介し、交流会で使ってもらったのです。これは、日本人学校の子どもたちにも、とてもよい刺激になりました。「日本語が話せるんだ」と大喜びで、日本人学校で行っている週に一度の韓国語の授業を振り返るよい機会になったのです。プールでの活動は、どの学年もとても楽しそうでした。
国際理解教育の推進は、日本人学校の研究課題です。交流会活動を一方の柱にしながら、相手を思いやるという基本的な態度や、豊かなコミュニケーション能力を身につける活動、韓国を知る活動を授業の中に位置づけ、これらの積み重ねによって、これからの時代を生き抜く力をつけたいと思っています。ソウルの日本人学校でしか経験できないこと、韓国にいるからこそ経験できるという場をできるだけたくさんつくる、ということも、企画をする上で大切に考えていることです。
2.交流活動?国際理解教育の推進
海外にある日本人学校は、それぞれの地域の特色を活かしながら、現地理解教育や国際理解教育に力を入れています。海外の日本人学校で国際理解教育の推進が本格化するのは、1970年代に入ってからで、ちょうどソウル日本人学校が設立されて時期と重なります。日本の経済成長が進み、諸外国と連携し、国際社会においてお互いに理解し信頼される人間を育てることの重要さが増してきたのです。現在、海外に在留する日本人の子ども達の数は、およそ5万人、日本に帰国する帰国子女は毎年1万2千人ほどになります。
国際化の進展に伴い、国際的な感覚を身につけた日本人が求められるようになってきたのをうけて、文部省(現在は文部科学省となりました)は、日本人学校での教育を、現地理解・現地交流を推進し、開かれた学校を作っていくことによって、国際社会に生きる国際人を育てる学校にしようという方向に向かいます。80年代末になるとさらに、できる限り現地で得られる経験を重視し、そうした教育のあり方を工夫するよう、現地理解・国際理解教育をさらに進めるような指導がなされました。
こうした流れの中で、文部省は日本人学校に対して、@国際理解に関する指導、現地の指導、A現地学校との交流を推進することB現地で得られる経験を多く積むことができるようにすること、C現地の子どもの受け入れに配慮すること、D学校内の協力体制を整えること、E現地の関係機関、諸団体との連携を蜜にすること、そのために校内研修などの充実を図ること、という内容の通知を出しました。これが1988年です。さらに、「海外子女教育の推進に関する研究協議会」が文部大臣の諮問機関として設置され、「日本人学校は現地社会から孤立することなく、むしろ現地社会に開かれたものとなり、積極的に現地社会に何らかの貢献・協力をする必要がある。在外教育施設が日本を理解してもらう場としての機能を果たすことが大切である」という報告を出しています。ソウル日本人学校においても、国際理解教育に重点がおかれ交流活動が活発になるのは、やはりこの時期でした。
わたしは、2001年から3年の任期でソウル日本人学校に、文部科学省から国際交流ディレクターとして派遣されました。国際交流ディレクターは、日本人学校を拠点にして、現地理解・国際理解教育の推進を専門に担当しています。具体的には、日常の国際理解教育推進に関わる仕事を援助すしたり、子ども達のスポーツ・音楽・文化などの学校間交流の仕事を援助したり、地域社会への貢献に関わる事業の企画・立案したりしています。日本人学校にこうした国際ディレクターを派遣するという制度は、1990年に発足しました。初年度はシンガポール、メキシコ、シカゴの三箇所に派遣され、現在は世界に83の日本人学校のうち10校に国際交流ディレクターが派遣されています。現地理解や国際交流を専門に担当する国際交流ディレクターを派遣するという制度も海外の教育施設で国際人を育てようという流れの一つであると考えられます。
JETプログラムの発足が1987年、日本の地方自治体が国際化推進のための自治体国際化協会を発足させたのが1988年、国際交流ディレクター制度が1990年。こうしてみると、この時期にグローバル時代に向けたさまざまな取り組みが活発に行われていることがわかります。
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