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JET-AAのみなさん、こんにちは。昨年10月から、4代目のクレアソウル事務所長になった石川義憲です。
私の故郷は、北緯40度にある岩手県盛岡市で、高等学校時代まで過ごしました。盛岡市は、古くからの城下町です。郷土の先輩に、国際情勢に関心も高かった詩人の石川啄木、エスペラント語に強い関心を持ちながら童話や詩を書いた宮沢賢治や国際連盟事務次長を務めた新渡戸稲造がいます。
食べ物としては、わんこそば、盛岡冷麺、盛岡炸醤麺が有名です。冷麺は、かつて咸興地方で生活していた人が盛岡に帰郷し始めた焼肉店の冷麺をお土産品として売り出したことに始まります。麺が太くて白っぽいという特徴があります。炸醤麺も中国東北地方に住んでいた人が、中華料理とはちょっと違う故郷の味にいち早く作り上げました。
韓国はソウルオリンピックの翌年1989年に初めて訪問。その後、1992年から1995年までのドイツ勤務を経て、1995年7月から1999年6月までの鳥取県総務部長時代に、韓国を8回訪問しました。鳥取県は、国際交流に力を入れており、韓国JETの数が10人を超えること、市町村にも韓国CIRがいること、2つの高等学校で2人の韓国ALTが勤務していることなど、韓国JETの活躍の大きな舞台となっています。
さて、日本にとって、韓国はまだまだ近くて遠い国です。1969年にNHK中国語講座が始まりましたが、NHKハングル講座が始まったのは、その15年後の1984年からです。クレアソウル事務所が入居している教保ビルの地下にある教保文庫にあれだけの本があるのに、日本の書店では、韓国に関する情報は、まだごくわずかしかありません。
しかしながら、JETそしてJET−AAの皆さんを通じて、交流の輪が広がってきました。今年はワールドカップサッカー大会日韓共催の年、日韓国民交流年であり、ますますの交流の発展が期待されていることはいうまでもありません。
日本の中学校国語教科書でも採り上げられている魯迅の小説「故郷」の中の次の言葉、「地上本没有路、走的人多了、也便成了路。」(地上にもともと道はない。歩く人が多くなればすなわちそれが道となるのだ。)を、アジア人のJET−AAとしての皆さんに、投げ掛けたいと思います。 |
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