キムテギョン、金さん、TK。
これらの名前は他の人が私を呼ぶ時使われる。
3つとも私を表しているが、呼ばれ方によって置かれていた環境や思い出などが大変異なる。
「金さん」と呼ばれていた、青森市国際交流員の時には多くの人々と触れ合って遊ぶことが好きで、日本人の友達だけではなくALTとCIRの外国人友達も多かった。国際交流員1年目に英国国際交流員の同僚と青森県ALT男性らの非公式的な結婚式パーティへ参加した。あいにく非英語圏は30名あまりの中で私しかいなかった。英語が公式言語だったため、私も簡単に自己紹介と有り触れた挨拶の言葉を交わす。それから、早い会話が進むにつれ、だんだん私の頭はしびれ気味になる。親切にゆっくりと話してくれようとする相手の気遣いに申し訳ないなと思いつつ、上手く話せない自分にいらだっていた。そのようなときはやはり食べ、飲んで危機を逃すしかない。皆が主に騒いながら飲んでいる状況で、私だけがひたすら飲んでいるから、すぐ酔ってダウンしてしまった。その後、青森で2年間 英会話学校を通ったが、国際交流員の3年間ずっと私は英語に悩まされた。 日本人の友達以外に外国人友達も深く付き合ってみたかったし、アジア以外の文化や考え方も理解したかったので、英語は乗り越えたいハードルだった。
ある日、青森県国際交流センターで一つのパンフレットを見つけた。それは英国で行われる地域ボランティア プログラムに関することだった。普段から社会貢献と福祉問題に興味を持っていながら献血しかやったことがなかったので、直接ボランティア活動を体験したかったし、また違う文化圏を体験し、生き生きとした英語を習えるチャンスだと思って、英国行きを決めた。
2001年4月国際交流員の任期を終え、8月に英国へ渡った。英国国際交流員が作ってくれた「TK(Tae Kyungの頭文字)」がイギリスでの名前だった。最初は私自身もそう呼ばれるのが不思議な感じだったが、徐々に慣れていった。リビアの友達が「TicKet」「TiKiTiKi」とからかったこともあるが。

最初の7ヶ月間は午前英語学校を通い、週3回程度夕方レストランでバイトをした。イギリスでの生活は簡単ではなかった。言葉だけでなく、韓国と日本とはとても違う食生活、文化や考え方の差にビックリした。相手のことを思いやりモゴモゴと躊躇するよりは、はっきりと自分の意見と主張を言おうとする中で、コミュニケーションの不足による誤解も生じ、揉め合う場面も多くなった。ある日は携帯電話を購入してから、店員の不親切さに腹を立てて、店を出た5分後に返品してお金を返してもらったこともある。サッカースタジアムでフーリガンに会い、逃げたこともあるし、たまに道端でイギリスの若者に悪口を言われたりして、イギリスが嫌いになった。不平や不満も多くなり、自信感も失った「TK」である私も嫌いになった。
私がこんなに弱い者だったのか、劣等意識が多いのかと思った。
しかし、英語学校を終えた後、イギリスに行く前に計画した通りそのパンフレットに出ていた地域コミュニティーボランティアに申し込んだ。私に任された仕事は左手しか使えない、電動車椅子に座って生活する中年男性のケアだった。その男性と一緒に住みながら、起床、食事の準備、買い物、運転、トイレの手伝い、着替え、犬の散歩、就寝準備など。 ケアの仕事は慣れてから全然難しくなかったが、一番大変だった点は意欲と情熱を失っている自分との戦いだった。それに、やっぱり文化の差、完璧ではないコミュニケーションのせいで誤解が生じ、言い争いになったりした。小さい家の中での文明衝突! 1日の中に余裕時間が多く生じたが、周りに友達一人いない田舎だったので、犬と村のはずれにある小さい丘に上り、美しいイギリス田園風景を見下ろし、叫んだりした。叫ぶことは私のストレス解消方である。周囲で草を食べていた牛たちが私を静かに見ていた。
今年8月にイギリスから帰ってきて、TKから変わっていまはキムテギョンと呼ばれている。
今はTKと呼ばれているときの生活に悔いが残るし、懐かしむ。もっと幸せで楽天的に暮らし、情熱を込めて過ごせはよかったなと。模範的で無難に生活し、寒いオヤジギャクの天才で、友達が多かった金さん。英国では自分の弱さを痛感し、乗り越えることができなかったTK。これからキムテギョンは毎日幸せに楽しく、すべての物事を愛しながら頑張って生活していきたいと思う。
|